訃報

昨日4月6日の朝、ツイッターをチェックしていたら高畑監督の訃報が流れてきました。
びっくりと、お年だもんなあという諦め(?)と一緒に、
これから5年10年かけて、神格化が行われるのだろうなあ、と。
そして訃報をツイッターで知ったその状況に、時代を感じました。

手塚治虫氏が亡くなった時、最初に情報に触れたのは竹田駅の売店でした。
店頭で売ってるスポーツ新聞の見出しが「レオ号」となっていて、号の下は見えない。
当時、西武ファンでもあった私は「レオ号砲?この時期に試合はないのに?」と
不思議に思っていました。
電車の中でオッサンが読んでいるスポーツ新聞に手塚氏の訃報が載っていて、
ああ、あれは「レオ号泣」だったんだと納得しました。
私が手塚ファンになったのは、亡くなる半年ほど前で、
当時、手塚作品はほとんど本屋にはありませんでした。
あったとしても、火の鳥、アドルフに告ぐ、ブラックジャック、ブッダのみ。
他の作品は、大きな本屋に行かないと置いてない。
んでもって本屋に「手塚治虫?そんなもの置きません」なんて言われる状態でした。
要は売れないから置かない、と。
亡くなって半年ぐらいから全集が出回るようになって、
それまで手に入らなかった本が出版されて、うれしいけど悔しかったです。
そして「手塚治虫はマンガの神様」みたいに扱われるようになって。
なんだよ、その手のひら返しは。
当時はインターネットなんてなかったから(パソコン通信はあったかもしれないけど)、
情報の伝達も状況の変化も月単位でしか変わらなかったけど、
今はすさまじいスピードで動いているんだろなあ。

でもまあ21世紀になっても、電信柱もコタツも健在だし、
だけどスマホなんてものが多くの人に使われていたり、世の中って面白い。